箱罠のタヌキ

「これから見回りよ」
「わーい ついてってよい?」
「では助手席に」

軽トラの助手席

アライグマ・タイワンリスなどの外来種防除のために森に仕掛けた箱罠の、見回り作業におじゃましました。

箱罠を持って山道を歩く

「あ フキノトウ」
「おお」

フキノトウ

箱罠を点検

箱罠の点検

箱罠にタヌキがかかっていた

箱罠の中の食べ物につられてタヌキがよくかかるそうだ。

アライグマが目的なので、私たちにとっては、タヌキは営業妨害なんですよー。と、罠の入口をあけて「ほら、出ろ」と促すし、すぐに出てこないタヌキの様子を見ながら、箱罠の入り口をワイヤーで固定し、他の作業にとりかかる。
箱の中からこちらを じーっとうかがっていたタヌキは、しばらくすると箱からのそのそと出て、ひょいひょい山の茂みに姿を消した。

「常連さんかな」

このタヌキ、罠にかかるのはこれが初めてではないようだ。

方や、箱罠の入口をあけると、一目散に箱から飛び出すタヌキもいる。
ギャン!と威嚇されることもある。噛まれたらたいへんだ。
タヌキと一概にいってもいろんな性格の個体がいるのだそうだ。

箱罠には、賞味期限切れになったビスケットとパンを設置する。
パンは、友人のパン屋さんから譲ってもらうもので、この日は、きな粉ケーキ。
賞味期限が切れているといってもとても美味しそうな香りである。

箱罠にビスケットやパン

他の場所では、疥癬(かいせん)にかかったみすぼらしいタヌキが箱罠にかかっていた。
からだが弱っているから自分で餌が穫れない。病気のタヌキが罠にかかっていることは多いらしい。

さては、こんな汚いカラダのオレサマをタヌキ汁に?やれるものならやってみろ 罠なんかこわくない。なんて言っている?

...などと、戯れに思うのも、また人間の勝手なのだろう

常連さんっぽいタヌキ

箱罠にタヌキ

箱罠にタヌキ

ほら、出ろ

入口があけっぱなしになるようにワイヤーで固定してます

作業をみつめるタヌキ

まだ見ている

箱罠のタヌキ

箱罠のタヌキ

じー

箱罠から出てくるタヌキ

箱罠から出てくるタヌキ

やっと帰る気になったタヌキ

森に帰って行くタヌキ

タヌキ、森の茂みに帰って行った

茅場

今日は茅刈り作業と聞き、行ったはいいが

誰も居ず

荒涼とした黄土色の広場
広場に茅

(1時間半も遅刻した私が悪い。)

茅と茅の間

背の高さほどの茅の中へ分け入ると、風もさえぎられあたたかく、
茅場の散歩にまいります。

茅場

すこし高いところに登り、茅場を見下ろしたり

空に木枝のシルエット

上を見上げたり 松の木。

茅場

茅

拾った茅をふりまわして音を出したり、ぴゅんぴゅん音がします。

茅場のある山を望む

1時間ほど散歩して、駐車場に戻ると、箱罠を積んだ軽トラと遭遇しました。

「これから見回りよ」
「わーい ついてってよい?」
「では助手席に」

「箱罠のタヌキ」へ、つづく

グラハム粉でチャパティ(古代パン風)

グラハム粉 パッケージ
グラハム粉

2017年秋に収穫された小麦粉
無農薬 無化学肥料「グラハム粉」横須賀産 全粒粉 (NPO法人生物多様性保全 作)

このグラハム粉で、チャパティを作ってみました。

グラハム粉
サラサラ

粉は、白い粉と小麦色の粉がまざっています。
小麦の表皮、胚芽、胚乳が入っているので、香りもよく、きっと栄養豊富なんだろうなあ

ボールで生地を作る
ぎゅっぎゅっ

グラハム粉は、半分使いました。
直径20cmくらいのチャパティ5枚できます。(このパッケージが500g入りだとしたら、250gかなーといったところです)

塩少々。粉に水を少しずつ足しながら、「耳たぶくらいのしっとりとした柔らかさ」もめざし、こねていきます。
しっかりとした 握りごたえがあります。

まるめた生地
おやすみ

生地は丸く整え、乾燥しないようラップをした状態で、30分ほどねかせます。

麺棒でのばす

台所に麺棒が見当たらないので、サランラップの芯にサランラップをまいて麺棒のかわりにしました。
おまんじゅうの大きさにちぎった生地を、のばしていきます。目指すは真円。

綿棒でのばす

サランラップ麺棒は、生地に はりつき、ラップが はがれてしまう方向があります。その反対方向だけを使うのがコツです。
真円にはほど遠いですが、何枚かやっていくうちに麺棒づかいも慣れてきました。

チャパティーを焼く
焼き焼き

フライパンに少量の油をひき、中火で両面焼きます。まあ火が通ればOKです。

チャパティ
焼き上がりました

焼きの香りがいい香りです。しかし台所が煙くなっていました。

チャパティというより、大陸の古代パンの様相です。
焼きの仕上がりは固めで歯ごたえがあります。
風味がとてもよいので、なにもつけずに食べて あとをひきます。

焚き火で焼いて食べたいな...。

今回はグラハム粉100%で作りました。断面はよく見ると2層になっています。
小麦粉を配合して焼くと、ふわっとしたパンケーキになるそうです。それもおいしそうです。

チャパティの断面

グラハム粉で作った チャパティ(古代パン風)に、カボチャのベーコンサラダのせ
グラハム粉のチャパティとカボチャベーコン

写真のスライドショーをDVDに

案件:500枚写真のスライドショーを作る DVDプレイヤーで再生したい
表示順序は、17のフォルダには順序指示ありフォルダ内の順序は自由

DVDをデータに、ではなく、
今どきDVDにしたいとは、よほどの理由があるにちがいありません。
ときどき動画を扱うのもよいものですので、お預かりし、

DVDプレイヤーでの再生は保証できないことと、プロジェクタで再生するとのこと、画質についてもあまりこだわらないことを確認しました。

▼iMovie10.1.8の おぼえがき

フォルダごとに、iMovieライブラリに新規イベント作成(ファイル>メディアを読込む)
イベント内のクリップは撮影日順となった
イベントごとに、クリップからタイムラインへドロップ
タイムラインで全部選択 > 編集>クロスディゾルブを追加

できあがったもの タイムサイズ 31分13秒

▼ここからが変換地獄です

ファイル>共有>ファイル>mp4(手持ちのDVDメディアに入らないので画質中に設定、mp4データの容量は3.13GBであった)
かかった時間:約3時間(計算時間は55時間などと表示されたりして はぇ?とおもった)

(×o×)リモートディスクは焼く目的には使えず

(処理時間が長いのでDVDドライブの内蔵されていないノートで作業してた)
ネットワークでDVDドライブのあるiMacへコピー
かかった時間:けっこうかかるのな

(×o×)macOSX 古めの Mavericks なのに iDVD開かず

なんとかハックしようと、iDVDダウンロード、iDVDフォルダダウンロード、

(×o×)appleIDが具合わるく、解凍アプリをダウンロードできず
(一日のうち、ここがいちばん消耗しました。新しいの買わんと知りませんよといわんばかりのシステム、腹立つわー
アップルにメールしようと思ったけどやめました)

納品物のひとつ mp4データをDVDメディアにとりあえず焼く
かかった時間:2時間

(@▽@)Windows機Windows7に WindowsDVDメーカーがあることを発見

mp4データをWindows7にコピー
かかった時間:ドライブ遅っ

(×o×)WindowsDVDメーカーはmp4に対応しておらず、

RealPlayer ConverterでWMVに変換
かかった時間:4時間

その間なんかappleID取得できたので、iDVD試行

(×o×)エラーで書込みできず

WindowsDVDメーカーでDVD作成
かかった時間:4時間

以上、朝から夜中まで一日かかりっきりな作業でした。

教訓1 素人は動画に手を出してはいけない。そして、次は断ろう。
教訓2 一家に一台 Windows

ログインできない FileMaker

概要
セキュリティを設定しないでパスワードを設定したら、ログインできなくて困ったとき

これでなんとか解決

アカウント:Admin
パスワード:(空欄)
optionキーを押しながら「OK」ボタンをクリック

説明

正式な順序は、
(1)
管理 > セキュリティ で、アカウント別にパスワードを設定してから、
(2)
ファイル > ファイルオプション で、アカウントとパスワードを設定します。

(1)をしなくても(2)ができます。
たとえば、アカウント名「user」パスワード「admin」と入力して「ok」とします。
すると、下のようなダイアログが表示されますが、なんかできたような気がします。

FileMaker パスワード設定

で、再度ファイルを開いたときに、
登録できたはずの、アカウント名「user」パスワード「admin」と入れてもログインできません。

FileMaker ログインできない

そこで、(新規プロジェクトをして再現して、ダイアログの表示を確認した次第、)デフォルトのアカウント「Admin」を使って、optionキーを押しながらログインしました。できました。

あとがき
FileMakerのシステムが表示するダイアログの日本語文章はクイズみたいだし、悩むところが人それぞれだったり、一晩寝ると解決したりすることも多かったり、おもしろいなあとよく思います。


環境:FileMaker14.0.6/ macOS 10.12.6(Sierra)


豆腐づくり

清水豆腐店のアキさん

横須賀 平作の清水豆腐店、
今日は特別に豆腐づくりを見せていただきました。

清水豆腐店はお父様の代からのお豆腐屋さん
アキさんは、亡くなられたお父様の後を次いで、2017年3月までお店を守ってきました。

お店の道具は40年以上使い磨かれピカピカできれいです。

「お豆腐はタンパク質なので、固まると取れなくなるの。豆腐づくりのうち、7割は道具を洗うことかもしれませんね。」

豆腐を作りながら、使った道具は金束子や亀の子束子で磨いて手早く片付けていきます。4月ですが水は冷たく、冬などはとても大変そうです。

「いえいえ、夏も暑くてなかなかですよ」とアキさん。

アキさんの作る大きい がんも はケーキのようで大好きだったので、お店がなくなってしまうのはとても残念なのですが、

ボイラー、大豆のグラインダー、大きい圧力鍋、油圧の絞り機、お豆腐のお風呂、、、どれも豆腐づくり専用の道具ですし、据え付けだったり連動している機械もあるので、設備を維持するのもたいへんです。

「いつ壊れてもおかしくない頃ですし、お豆腐づくりは力仕事ですからねー」と、工房の棚の上にあったラッパを見せてくれました。お父様が使ってたお豆腐屋のラッパです。
「これは処分できない道具のひとつですね」とアキさんが言いました。

清水豆腐店のラッパ

お豆腐ができあがったころ、飼い猫のキーちゃんが奥の部屋から顔を出しました。

猫

冊子「横須賀の ため池」

田んぼや ため池がいっぱい頃の おじいちゃんが見知っている風景。
ザリガニを穫ったお父さんが知っている ため池。
中には10年前より、きれいなった池もあります。

三浦半島に池ってこんなにあったの?!

「横須賀のため池」は、94ページにおよぶ冊子。
ため池の基本情報では、市内にあった ため池の変遷も手にとるように解ります。
各地区ごとの ため池・堰をめぐるハイキングコースも充実。
ため池の言い伝えや過去の文献の抜粋を読めば、参考元の文献を図書館に探しに行きたくなるでしょう。

横須賀「水と環境」研究会は、定期的に水質調査のフィールドワーク参加の一般公募もおこなっています。
いっしょに歩くと、三浦半島の地形がよりいっそう面白いものに見えてきますよ。

tatiyomi

お問合せ先:
横須賀「水と環境」研究会
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4110/katsudou/mizu.html

北下浦文化マップ

北下浦地域文化振興会発行
1988年4月1日第1版
1998年10月18日改訂再版

北下浦文化マップ

表面(9MB)

北下浦文化マップ

裏面(7MB)

右クリックして「リンクのアドレスをコピー」して表示すると大きい画像が見られるとおもいます。

戦争の話(横須賀)

海の見える高台の平屋。
90歳のおばあちゃん よりこさんに戦争のときの話をうかがいに行きました。
三浦半島は米も魚も豊富な場所なので、比較的穏やかな戦中の暮らしを予想していましたので驚きました。

2時間ちょっとの長い時間、録音機持ってくればよかった...と思うくらいたくさんお話してくださいました。

「チョコレートはボケ防止になるのよ。私も何年も前からチョコレートを食べてるの。その証拠が私よ」
と、お土産にチョコレートをくださいました。

***

警防団
ラジオで「東部軍艦区情報、警戒警報発令」って流れると、防空壕に行かなきゃいけないんだけど、警防団が家を一軒一軒まわって棒で家を激しく叩いたりして、あの人たち、ひどいのよー

憲兵
町のそこら中に憲兵が居て、私服で鳥打ち帽をかぶってたりして、、、
お風呂の帰り、浴衣なんかで歩いてるところなんて、憲兵にみつかればその場で平手打ちよ。

女子挺身隊動員令
女子挺身隊動員令が突然届いたの。
宛名は私だけれど、差出人が書かれていない。日にちと時間が書かれていて、
ヨゼフ病院の隣にあるでしょ?諏訪神社に来なさいって。もちろん手弁当よ。
1月だし、着るものはモンペ。寒かったわ。
そこで、いきなり事務員と現場、事務員に行きたい者は手を挙げろと言われて、なんだかよく解らないけど手を挙げたの。50人くらいの中私ひとり。みんな怯えていてどうしてよいのか解らないもの。

配給切符
配給に海宝麺っていうのがあって、「海宝」っていっても、寒天にヒジキとかひょろひょろの海藻が入っていてそれを細く切ってあるの。

食料配給は配給切符というのを購入するので無料ではないのよ。

衣料切符というのもあって、それがなければ糸も買えないから、縫い物もできない。

真珠湾攻撃
十軍神と報道されていたけど いつの間にか九軍神と言われるようになって、、、

「リメンバーパールハーバー」という言葉が、英語廃止をしている日本にも口伝えで広まって。真珠湾攻撃、特攻隊だの、なんて大それたことをしているのか、日本がアメリカに勝てるわけない...って思った。

ピカドン
毎日届く新聞はタブロイド版っていうひとまわり小さい大きさで誌面はピラピラの1枚。紙なんてなかったのよ。
原爆が落とされた日のタブロイドには、「新型爆弾」「ピカドン」と書かれ、原爆などという言葉は一切なかったわ。

ビラ
空からビラはよくまかれていた。地域によって違うみたい。
原爆が落とされた翌日、横須賀の上空からまかれたビラには、武装解除すれば平和の灯火が灯る と書かれ、丸くふちどられたイラストには、家族が囲むテーブルに人数分のお茶碗に盛られた米と、テーブルのまん中に置かれた皿には三角の刺身のが描かれていたのをはっきりと覚えてるわ。紙の色?ザラバン紙よ。

敗戦後
敗戦後、横須賀では鎮守府の引き渡しが8/31に決まり、女こどもは横須賀から40Km離れるようにと言われたの。けれど、いきなりそんなこといわれても、親類縁者がそんな都合のいい場所にいるわけでもないし、、、
憲兵はあいかわらず権力をふるっていたわ。

海軍鎮守府 賜金係の後、今の久里浜駐屯地にあった海軍復員局へ勤めたころ
喧嘩する声をよく耳にしたわ。
戦死者遺族年金が欲しいから、戦死した息子の両親が嫁を追い出すの。夫が戦争にとられ戦死した上、夫の両親に離婚をせまられるんだから、ひどい話よ。

***

よりこさんのお話をメモしたものを記しました。

記憶ちがいのものもあるかもしれません。

空からまかれるビラは日本軍のビラはなかったと言います。「そんな飛行機飛ばす余裕なんてないわよ」と。
もしかしたら、それは違うかもしれません。

裁縫学校に通っていた20代の女の子が、海軍鎮守府で戦死者の名簿を扱う事務を背負わされます。
仕事量は多く、ノルマがあるので みつからないようにこっそり家に持ち帰って布団をかぶって仕事をこなしたそうです。
今日は多いいわね。少ないわね。という日々の中、名簿に知っている人の名前を目にすると涙がとまらなくなったと言っていました。