秋は美味いものがなお美味しい

ベーグルnicoのベーグルプディング

秋は身体のいろんなセンサーが調子をあげ、
外に出ればいろんな臭いが嗅げる。いろんな色が見える。
美味しいものは「信じられなーい」というほど美味しく感じる。
身体から入ったいろんなものは上手に消化されたりもするようで、
秋はめんどうくさくても外に出れば、なんとか なんか良いことがあるような気がする。

写真は、横須賀 深田台にあるベーグルの店 「ベーグル nico」の
今日のおやつメニュー『ベーグルプディング』

ベーグルの、中までしっとりと沁みた卵の風味が気に入ってます。

小学生のころあたりの記憶でしょうか…
家で チャボ(鶏)を飼っていました。
などと どうでもいいことを 言ってしまいたくなる。

平作川 アオサギ

午前中の大雨があがり、こんなときは平作川に小魚を求めて鳥がやってきます。
平作川でアオサギをみかけました。
平作川のアオサギ
体長は…少々小柄かな カメラを向けていたら警戒されてしまいました。せっかくの狩りの時間をじゃましてしまいました。ゴメン
飛び立つアオサギ
アオサギはふわっと羽をひろげて軽く水面を蹴りながら川の上流へ飛んで行きました。
アオサギが残した波紋

inDesign ルビで気をつけなきゃ

Adove CS6 inDesign ルビの

フォントが化けてしまった。

気をつけなきゃいけない文字はけっこうあるようで…

ワ ヰ ヱ ヲ ン 、 。・ * ※ ヽ ヾ ゝ ゞ ( 

Adobe Technical Note
http://partners.adobe.com/public/developer/en/font/5078.Adobe-Japan1-6.pdf

【覚書】サウンドスケープ

サウンドスケープの詩学 フィールド篇
鳥越けい子著
春秋社(2008年3月発行)より
ご購入⇒ http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-93533-0/

p115
第一次世界大戦前夜のイタリア
未来派の作曲家ルイジ・ルッソロが、製鉄所、汽車や自動車の音など、20世紀の初頭の都市を彩る様々な騒音を、音楽芸術のなかに積極的に取り込もうとして「騒音の音楽」を提唱・実践しました。

この流れは、第二次世界大戦後のミュージック・コンクレートとなります。そして外界のさまざまな音を録音してそれらを編集したり、加工したりして、ひとつの音楽作品をつくりあげるこの音楽においては「楽音」と「非楽音=環境音」との区別は完璧に解消されたのです。さらにその後の20世紀の後半におけるサンプラ―・マシンその他の電子楽器の普及を通じて、あらゆる環境音が音楽の素材となりうるということは、もはや「常識」となりました。

「サウンドスケープ」という考え方は、まさにこのような20世紀の芸術音楽の流れのなかで生まれたもの。その流れをさらに推進するために生み出されたものです。提唱者のシェーファーは「私たちは音の全領域にわたる新たな種類の楽音を手に入れた…今日すべての音が音楽の包括的な領域内にあってとぎれなのない可能性の場を形成している」と述べ、こうした20世紀の現代音楽の一連の流れのなかにサウンドスケープ概念を位置づけました。シェーファーはまた、サウンドスケープ概念を、ルネッサンス依頼の西洋音楽の流れににおける音素材拡大の必然的な帰結としてとらえています。

p136
マリー・シェーファー
「音の世界の専門家」として、自分がいくらすばらしい「オーケストラ作品」を作曲することができても、日々の音の世界に関して自分自身の暮らしを衛ることができないなんてなんと残念な(バカげた?)ことか、と「現代音楽」の世界の狭さや、そうした意味での「音楽家の無力さ」を歯がゆく思ったはずです。

普通の音楽家はそこで「騒音公害反対の歌」などを作ったり演奏したりする(実際のところシェーファーも、北極圏地域を走り回るスノーモービルがまき散らす騒音告発のためのオーケストラ曲を作っています)。けれども、彼の場合は単にそういうことには留まらず、これまでの「音楽の音」だけではなく、「騒音」なども含めた「音環境全体」の問題を歩かう事のできる「サウンドスケープ」という考え方を生み出した、というわけだったのです。
シェーファーによるこうした作業もまた「専門家として働くこと」と「ひとりの人間としての生きること」との溝を埋めていく活動だった、と私は考えます。

p172
シェーファーによる「サウンドスケープ・デザイン」についての定義

自然科学者、社会科学者、芸術家 特に音楽家 の才能を必要とする新しい学際領域。
サウンドスケープ・デザインは、音環境、すなわちサウンド・スケープの美的な質を改善するための原理を発見しようとするものである。そのためには、サウンドスケープを我々のまわりで絶えず展開している巨大な音楽作品として思い描き、そのオーケストレーションと形式をどのように改善すれば豊かで多彩な、それでいて人間の健康と福祉を決して破壊することのないような効果を生み出せるかを問う必要がある。サウンドスケープ・デザインの原理には、特定の音の削除や規制(騒音規制)、新しい音が環境の中に野放図に解き放たれる前にそれらを検討すること、特定の音(標識音)の保存、そして何よりも音を想像力豊かに配置して、魅力的で刺激的な音環境を未来に向けて想像する事が含まれる。サウンドスケープ・デザインには音環境のモデルを創作することも含まれており、この点において現代音楽の作曲に連続した領域である。

著書『世界の調律』は、ロバート・フラッド(ケプラーと同時代のイギリスの思想家)の『両宇宙誌』という本のなかにある「正解の調律」という第の挿絵からとっている。

(1)耳と声の重視
耳の聴取機能に障害をきたしたり、声が聞き取れないような環境は有害である。

(2)音の象徴性の認識
音の象徴作用には、常に信号伝達機能以上のものがある。

(3)自然のサウンドスケープのリズムとテンポの知識。

(4)軌道をはずれたサウンドスケープを本来の姿に戻すためにバランスをろつ仕組みメカニズムの理解。

さわれる美術館のつくりかた ケ・ブランリー美術館

2012年8月5日(日)
横須賀美術館でおこなわれてワークショップ「さわれる美術館のつくりかた」
デルフィーヌ・アルメルさんの話はとてもよい経験になりました。
musée du quai Branly
今回紹介のあった美術館はフランスの「ケ・ブランリー美術館」、
美術館でのアクセシビリティと 実際におこった問題と その解決方法 を紹介してくれました。

ケ・ブランリー美術館は、シラク大統領の時代、2006年に開館した比較的新しい美術館、
コレクションは人類博物館というか民族博物館といいましょうか、GoogleMapで上空から望むと迷路のような庭園が見られます。Musée du quai Branlyのサイトを見るとお面的なものやトーテムポール的なものの写真が表示されています。(もお絶対行きたい!)

すべての来館者は「森に迷い込む」をイメージさせる庭園の歩道に迷い込みます。歩道にはゴム素材のラインが設けられ、いわゆる点字ブロックの役割をします。
館内に入ったお客さんは車いすでも楽に登れるゆるやかなスロープを利用します。
そして、展示スペースは広い空間に…約3000点の民族美術のコレクション…。
(うわー!これは 一日 時間をとって赴く必要がありそうですね)

ケ・ブランリー美術館は、アクセシビリティを構想の柱として作られた美術館なんですね。

このアクセシビリティのコンセプトは、
開館後も問題を解決しながら工夫され更新され続けられたそうです。
作りっぱなしというのはナシです。これ大事っ

触って解る「オリエンテーションマップ」は来館者の意見を取り入れ、大きいものに作り替えたり、色をつけたり、方向の目印としてエッフェル塔の位置を加えたり、それによって多くの人が理解できる良いオリエンテーションマップになっていったのだそうです。

美術品の展示方法も試行錯誤がなされました。
開館して間もなく、多くあった意見として「会場の暗さ」が問題になりました。

会場が暗いというのはアクセシビリティの観点からはノーである。しかし光を当てて痛んでしまう 皮 木の皮 貝殻 羽毛。
ケ・ブランリー美術館は、古代から現代に至る世界の美術品・民具・衣服・装飾品、民族美術を展示しています。
妥協とのバランスをスタッフ同志、意見をいっぱい交わしたそうです。

結果、光に強いものと弱いもの、展示物によって光の当て方を変えることとなりました。

晴眼者にとっては、この輝度の観察も美術品のひとつの情報になり得るんだろうなーと、修復や保存に興味のある私はとって、この話にはワクワクさせられました。

意見を交わし考えて工夫することは、
「さわる」をコンセプトにした人形の企画展(スクリーンに映し出された写真画像はホピ族のカチーナのような人形でした)では、原寸大で本物そっくりの複製の製作を、
常設展示の「展示物の立体模型」には、設置の仕方も細やかな工夫を施すことにもつながったそうです。

そしてそれは、視覚障害者だけでなく晴眼者にも親しまれる結果を生み
さらに「暗闇の朗読会※」視覚障害者が点字の本を晴眼者に読み聞かせをするといった斬新な!企画なども生んだのだそうです。
「共有するひとつのツール」の大切さ、美術館のコンセプトも少しずつ変わっていったように思えました。

もともとアクセシビリティを第一に考えて作った美術館だから出来たことではないかと思います。
それがスタッフ関係者に考えることをやめてしまわないで、創造力を与え続けているものなのだと思います。

アルメルさんはいいました。
美術館の役割とは“人々に共通のイメージを頭に描いてもらうことではなくて、人々に感動のきっかけをあたえることなんです”

※「暗闇の朗読会」では男女2人の朗読者、詩や神話を朗読したそうです。闇の中で感覚をとぎすまして感じる世界って?!いつか体感してみたい!

musée du quai Branly(フランス語・英語) http://www.quaibranly.fr/

フランス美術館・博物館情報(日本語) http://www.museesdefrance.org/

さわれる美術館のつくりかた ―誰でもアートが楽しめる!―

2012年8月5日(日)14:00~  横須賀美術館 ワークショップ室

講師 デルフィーヌ・アルメル(元ケ・ブランリー美術館 障害者来館促進担当) ※通訳あり

主催・協力
【主催】横須賀美術館
【企画協力】NPO法人視覚障害者芸術活動推進委員会、ギャラリーTOM

福助ホテル 解体 柏木田

横須賀 柏木田の 福助ホテル 解体が始まっていました。
工事の人がちょうど休憩時間だったので、すこしだけ敷地の中に入らせてもらいました。

本:衣笠地区 古老のはなし

上杉孝良先生から紹介していただいた「衣笠地区 古老のはなし」を図書館で読む。
これがひどく面白い。

録音されたカセットテープを何度も聞きながら書き起こし、
活字にするために不明な部分を聞きに談話者のところに何度も足を運んだのだそうです。
長い時間をかけて、発行までに4年間かかったといいます。

現在は、絶版で図書館でも貸し出し不可となっています。
再版されることを願いつつ、また、このような本が今後も作られることを願いつつ、
気になったページを画像でここに載せました。

メモ:

p51
【伝馬場】
今は大分勾配が低いんですが、昔は急だったんですよ。

p104
【動物の話】
(蛙が)それまで鳴いていたのにぴたっと声が聞こえなくなっちゃったんですよ。そしたら地震ですよ。大正の大地震です。大変でした。

p148
【床屋】
バリカン刈りで3銭くらいだったかなあ。

p151
【交通】
甚四郎坂 ろう学校 清水垂坂

p152
【事件】
オリンピアボール 大砲が落ちる マグロが落ちる
こやしがききすぎて、でき過ぎちゃって困ったんですよ。

p153
【洪水】
1年に2回ぐらいありましたね。明治12年の大水 交番の座敷においてあった刀がどこかへ行っちゃって大騒ぎしたけど

p161
柏木田で心中事件などがあると「よみうり」といって瓦版のようなものを、若い者が売りにきましたね。

p167
【衣笠公園】
城が峰
「おおそうか、そうゆうことなら結構だから、あれは寄附してしまえ」ということで、無償で寄附してしまった。
あの砲身塔は重くて山へ上げるのに、不入斗の重砲聯隊が馬で上げたんです。

p168
砲身塔にかいた「芳名不朽」という字 海軍中将の上村 彦之丞

【医者】
月曜日に柏木田から三三五五、ぞろぞろ歩いて、またこうして帰るんですよ。

p172
【河童】
そおすると、内川の先の方を小さい小僧のようなものが、とことこ歩いているんですって

p174
【その他の動物】
クイナが今の宮郷の川辺りにいましたよ。
カワセミは高岩堰にいました。
真鶴だかなんだか、すうっと足をのばしてね、飛んでいるのを見たことがあります。こうのとりもいたんですよ。
鍋鶴も生駒の上の方にきたといいます。

p175
【井戸店】
非常にいい水が出ましてね。トンネルの下のところに元井戸があったんですよ。
【昔の学校】
死のうか巡査になろうか、喰えぬ士族のすてどころ

【メモ】若尾文子特集 60年代映画

横須賀の映画館でおこなわれた若尾文子特集 上映された映画のメモ

音楽:林光(鬼婆)富田勲(リボンの騎士)池野成(電送人間)斎藤一郎(陸軍中野学校)山内正(東京警備指令 ザ・ガードマン)小川寛興(月光仮面 七色仮面 快傑ハリマオ)鏑木創(爆走!ドーベルマン刑事)
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ニホンミツバチを見せてもらいました

横須賀ハイランドは、南の久里浜の山の上にある住宅地。
昭和50年ごろに出来た分譲地なので、格子の道路に何度行っても迷います。

本日目指すは、ハイランドで養蜂をご趣味とされている方のお宅です。
仕事でお世話になっている方のご紹介で、お会いできることになりました。

なんと。ニホンミツバチです!

私はニホンミツバチを「ニホンミツバチ」と認識して見たのは初めてです。

家の裏手、巣箱は房総半島や伊豆大島も望める見晴らしのよい場所に設置されていました。
前方には海、左手には花の国の裏山、右手の向こうには子安の里の山が見え、ミツバチじゃなくてもこの場所からピューンと飛んでいきたくなる良い場所です。

ミツバチたちは、箱の隙間から出て来て、羽をふるわせて、ちいさく前進してから飛び立ちます。
それがなんとも愛らしい。

飛び立つミツバチのじゃまにならないようにカメラを向けます。(だめだ。上手く撮れない...)

30分くらい観察している間に、スズメバチを2匹、家主が捕らえました。
いずれのスズメバチもミツバチの巣箱の穴に突進!危機一髪のところでした。
「スズメバチはミツバチしか見ていないから捕らえるのは難しくないよ」とのこと ひや〜怖かった。
2匹のうちの1匹の巨大なスズメバチをお土産にいただきました。

ニホンミツバチは西洋蜜蜂と比べてとてもおとなしい蜂です。
みかけたら そっと観察してみてくださいね。

養蜂にお薦めの本も教えてもらいました。
我が家にミツバチがやって来た(著: 久志 冨士男 発行: 高文研)

本 ジュノ・ディアズ

同時に読むと楽しさ倍増です。お好みの節がわんさか出てきます。付箋を用意して読むことをお薦めします。

ほんの一文で想像世界がうわっと広がるのですが、例えばこんなかんじ

"ボクらは街灯に大きく照らされ、なにもかもが1日経った小便みたいな色になっていた。50歳とかになると、友だちの記憶なんてこんなもんなんだろう。"

オスカー・ワオでは「サンドマン」とかも出てきたりする。

ジュノ・ディアズ著

『ハイウェイとゴミ溜め』 (1996)江口研一訳
『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(2000)都甲幸治訳 久保尚美訳