「等身大の科学を」この章は好きで何度も読みました。
人間には五感と呼ばれる知覚が備わっている。5つの小さいな窓と行ってもいいだろう。ヒトという生物はいわば囚われの身であって、その5つの小さな窓からのみ外界の様子を知る事ができる。外界とはわれわれが存在しているこの世界のことだが、そこでは空間が無限に広がり、逆に、物質は無限に微小な要素から成り立っている。そしてすべての現象は複雑に絡まり合っている。これが全部解明できると思うのは、若気の至りというものである。
窓の一つは聴覚である。耳の周囲の空気が1秒間に50回から60回振動すると、その振動がこまくをゆする。これは私たちには非常に低いうなり音になって聞こえる。ちょうどオーディオ装置を交流電源につないだ瞬間に聞こえるあの低い音である。1秒間に空気を880回振動させるとどうなるか。こまくがふるえ、ちょうどピアノの真ん中にあるラの音が聞こえる。この音のちょうど倍、1秒あたり1760回の振動は、一オクターブ高いラの音になる。さらに倍の3520サイクルならばもう一オクターブ高いラ音になる。しかし2万サイクルを超えると、空気は振動していても私たちには音として聞こえない。もちろん空気はさらにもっと高いサイクル数で振動させることができる。このときヒトには聞こえないが、イヌには聞こえる音が発生している。ヒトの聴覚の窓は狭い。ヒトが聞こえる音はおおざっぱに言えば、ヒトの身体が発生することのできる音である。それはおそらく聴覚が、人間同士の発する音を認識するために発達してきたものだからである。
(視覚、無重力の感覚などに続く)
へ〜なこと、なるほど。も萬歳だ。
フランスの決めた1メートルは、ノートルダム寺院前の、冬場にローストナッツの屋台ができる場所の真上を通る線を、北極と赤道まで伸ばし、その距離を1000万で割った長さである。
人間はかつて氷河期をもたらしたのでもなければ、それを集結させたわけでもない。むしろ人類の生活史がそこから始まったのだ。われわれは嵐を作り出す事も稲妻をもたらすこともない。ある年はエルニーニョ現象を引き起こし、次の年はそれをやめにするといった芸当もできない。洪水をわざと引き起こすこともできない。気候変化のパターンはまったくの謎であり、われわれ人類は多くの謎とともにこの地球上にあるのだ。人類はそういった変化に対して、なすすべをもたない。逆に、人類の歴史がそれらの変化の中から生まれ出てきたのである。
われわれは白衣を身にまとった科学者たちの御託宣を神妙に拝聴する。御託宣はかつて教会の司祭たちが執り行っていた行為である。司祭たちは、もし使命とあらば、残虐非道な行為でも実行した。科学者もまた、求めに応じて非道な行動に手を貸す。
「マリス博士の奇想天外な人生」キャリー・マリス著 福岡伸一訳 早川書房
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