戦艦三笠 横須賀

操縦桿の部屋

Olympus E-420 Suiko Digital ISO400 9mm -3.3 EV f/18 1/13

猿島をのぞむ

Olympus E-420 Suiko Digital ISO400 9mm -1 EV f/18 1/125

この日はすごい強風というか突風で甲板に上がったら飛ばされそうになりました。

この日の他の写真:

戦艦三笠(スチームパンクっぽくないですか)2013.02.07
https://picasaweb.google.com/106860387542958237649/20130207?authuser=0&feat=directlink

海に突風 2013.02.07
https://picasaweb.google.com/106860387542958237649/2013020702?authuser=0&feat=directlink

見上げると

さて、と 見上げると
雲の切れ目から月がのぞいていた 満月だったのか しばらくすると 雲は月を覆っていった

大きい道路

ひょいと嬉しいことがあって、歩道橋に向かいました。
横須賀の道路はみんな低速だなー
長い線が描けず、シャッターをもうちょっとだけ開くと長い線が描かれた。
横須賀芸術劇場前

Olympus Zuiko degi ISO400 9mm -2.7 EV f/22 2.5

はしゃぐ(衣笠商店街ハロウィン2012)

横須賀 衣笠商店街のイベント「ハロウィン2012」で
イラストレータの骨堂さんに描いてもらった「背景の幕」
片付けてしまう前に、無理を言って記念撮影させてもらいました。

衣笠商店街 青年部のみなさん 骨堂さん ありがとうございまーす。

衣笠ハロウィン2012の幕
クリックするとGIFアニメーションが見られます(1.3MB)

撮影: ふくなが商店さん(りんご の おいしい老舗の青果店です。手づくり梅干しもウマい)

⇒ 衣笠商店街 ハロウィン2012 のもよう
⇒ 衣笠商店街 ハロウィン2012

船乗りになってしまった

アサバアートスクエアの中庭でおこなわれた
アーリーダンスグループ・カプリオル
『求む!船乗り』18世紀オランダ港町の船乗りのダンス
http://aas205.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html

に行きました。

私の耳には古楽器の低音かげんは丁度よいらしく
耳の奥までともダイレクトに脳みそまでとも響いて気持ちよい。

公演では古楽器がいっぱい登場し演奏してくれました。
大好きヴィオラ・ダ・ガンバ、Uの字にまがった笛は、クルムホルン!きんきん耳障りじゃないそのバグパイプなにー?!
もお ウキウキで。

それにくわえて 踊りとお芝居、アサバアートスクエア(初めておうかがいしました なんて気持ちいい場所なんだ!)の中庭

ぼけーっと見上げれば レンガ色屋根(平瓦と丸瓦の豪華な屋根で軒先の紋は梅がかわいいのだ)と秋の空にヒヨドリが気持ち良さそうに鳴きながら飛んでいました

公演の後半は会場の中庭を飛び出し、出演者観客みんなで手をつないで!バグパイプと太鼓の楽師をひきつれて
光明院の脇の山にかこまれた広い原っぱへ行進(否 踊り進むといったほうがいいかな)します。

このときすでに私「あーもー帰りたくないですよー」と頭の中が丸裸状態であったのはいうまでもなく(へへへ)

お誘いくださったMarsさん、ありがとうございます。

空間の表現は難しいでしょ?というと
いいんだよ 自由に感じてくれれば それで。って
Marsさんの言葉は昔も今も私にとっては難解で、それでもじんわり沁みるので大好きです。

Mars(Solomon Grandy)
http://solomongrandy.web.fc2.com

アサバアートスクエア
http://aas205.blogspot.jp

郷を離れるってどんな気持ちなんだろう

海の灯り

ひさしぶりに遠回りして帰りたくなったので 久里浜の海まで行ってみた

カメラは意外にいろんな色を拾うものなんだなー
私の目にはオレンジ色の光と灯浮標の緑色しか映っていなかったのに

三本煙突と飛行機とオリオン座

ながくシャッターを開けていると 飛行機の軌跡とオリオン座が撮れました
今日の三本煙突は バルセロナのサグラダファミリアみたいだ

横須賀 小矢部 の昔の話(メモ)

帰り道、いつものローソンでご主人から 聞いた話です。

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西友が出来たのはウチより後なんだよ

ウチは、昭和42年。
西友がオープンしたのは1年後の昭和43年5月。

当時は、三崎から大勢の人が衣笠になんでも買いに来ていたねー
井戸店というところは馬の休む場所で、蹄鉄とか洗ったりするの。

(え?もっと長いですよね)

わたなべストアーという名前になったのが昭和42年で、

創業は大正7年、当時こそコンビニエンスストアでね。今よりも品数は多かったよ。

なんでも置いてたよ。雑貨屋というのではなく荒物屋といって、
荒物のなかでもウチは大荒物といって、馬の蹄鉄、鞍、牛の鼻輪、井戸の滑車なんかも普通に売っていた。

三崎街道は旧海軍だったベースから武山までをつなぐ重要な道で
昭和29年に舗装されて、

今はすき屋と浜寿司になっていてその前はセメント工場だったところに
いつくらいまでだろう 昭和30年代後半から40年までかな
高梨馬力運送っていうのがあったんだよ。

( ふーん とか言いながら 手の平にメモメモ… )
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